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幻の「桃尻娘」応募原稿【展覧会場から・橋本治展】

※本記事では、機関紙「神奈川近代文学館」164号(2024年4月1日発行)の寄稿を期間限定で公開しています。〈2024年6月2日まで〉



「桃尻娘」応募原稿末尾 講談社蔵
 

 小説家になりたいわけではなく、こういうものなら書ける、と執筆したのが「桃尻娘」だったという。「小説現代」新人賞に応募した結果は佳作だったが例外的に発表の機会を得た。

 初出誌「Gen」(一九七七年十二月号)掲載にあたり、応募原稿の末尾が「分り難い」と指摘されて書き直し、単行本(一九七八年)収録に際し「改めて当初の計画通り」に「書き足し」たと講談社文庫版の「あとがき?」で自ら明かしている。

 しかし、今回、応募原稿を確認したところ、単行本収録の結末ともだいぶ趣が違うことが分かった。

 「Gen」では母親の言動に腹を立てた桃尻娘・榊原玲奈が早朝に団地の部屋を抜け出して、公園でブランコに乗っている。屋上から飛び降りたら周囲はどんな反応をするか想像し、だれも本当の自分を理解してくれないだろうことに辟易する。そこへ通りかかった〈おじいさん〉に明るく接しようとすると、思わぬ罵詈雑言を浴びせられ、心の中で「バカアーッ!」と叫んで幕となる。

 単行本ではブランコに乗りながら、飛び降りることを想像するまでは同じ。ブランコを乗り捨て、思いを巡らせながら白々と明けてくる空の美しさに見とれていると、近所の〈オバさん〉たちがジョギングして来る。自分の居場所に踏み込んでくる無神経さと、押しつけがましさに反発を覚え、海を見に行く決意を固めて終わる。これが決定版となった。

 ところが、応募原稿では部屋を抜け出した先は団地の屋上。桃尻娘はお酒を飲んで酔い心地。手足を動かしながら空を飛び、誰か見たことのある人物に抱き留められるが誰かは分からない。「あたしは未来を見ているのかも、しれない、過去形で……」と結ばれている。

 榊原玲奈はじめ磯村薫、木川田源一、醒井さめがい凉子の四人の主人公がそれぞれ自我を確立して成長する青春小説『桃尻娘』はシリーズ化され全六冊に結実。心の中でモノローグで怒り、悲嘆していた主人公たちは、相手に自分の心を伝えるダイアローグを獲得して行く。

 十二年越しのシリーズ最終巻『雨の温州蜜柑姫おみかんひめ』は章ごとに未来から過去へ時間を遡る構成となっている。巻頭の〈未来〉は、実は巻末の〈過去〉に見た夢だった可能性を示唆している。語り手は「時間」は「融通無礙フレキシブルに選択可能」という。幻となった応募原稿の末尾は、橋本の中で大事に温存されていて、最終巻の末尾に複雑に反映されたのではないか。

 橋本いわく「これで私は意外としつこいのです(別に意外でもなんでもないかもしれないけれど)。」

                        (展示課・和田明子)



〈機関紙164号 その他の寄稿など〉
【寄稿・橋本治展】
若き日の橋本治―馬渕明子
港の見える丘に立って―千木良悠子
【寄稿・庄野潤三展】
おいしい。うれしい。よろこぶ。―中島京子
【連載随筆】
火の言葉だけが残った① 芥川龍之介、名作「蜃気楼」―吉増剛造
【所蔵資料紹介48】
尾崎一雄・尾崎士郎交友書簡(3)

◆機関紙「神奈川近代文学館」は、当館ミュージアムショップまたは通信販売でご購入いただけます。(1部=100円)

https://www.kanabun.or.jp/webshop/1/

◆神奈川近代文学館公式noteでは、機関紙掲載記事の期間限定公開や講演会・イベントの配信をしています。

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