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63年間を振り返って② 児童読物作家として/山中恒【連載随筆】

※本記事では、機関紙「神奈川近代文学館」161号(2023年7月15日発行)の寄稿を期間限定で公開しています。〈2024年3月31日まで〉


筆者と各国で翻訳出版された著書

山中恒・児童読物作家


 一九六九年、「私は、これからは児童文学者、、、ではなく児童読物作家、、、、になります」と宣言した。周囲からは、児童文学者と児童読物作家は、どこがどう違うのか? と怪訝な顔をされた。また何が児童文学で何が児童読物なのか、明確にしてくれと言われた。

 私が児童読物作家を称するきっかけの一つは課題図書である。一九五五年、全国学校図書館協議会と毎日新聞社の主催、読書活動の振興を目的として『青少年読書感想文全国コンクール』が始まった。合唱コンクールの課題曲と同じように課題図書が何点か選定される。全国の児童生徒はこの課題図書を買い、夏休みにそれを読んで感想文を書いて、宿題と一緒に教師に提出するのだ。

 子どもたちは感想文が書けない、何を書いたらいいのかわからないと悩み苦しんだ。これでは本を読んだ罰として感想文を書かせるようなもので、子どもを本嫌いにさせるだけだと、私は腹立たしく思った。

 子どもが書いた読書感想文はまず校内審査を受ける。それから地区内審査、都道府県審査でふるいにかけ、中央審査会で内閣総理大臣賞以下各賞受賞者を決定する。入選受賞者は大変な名誉だったので、コンクールの審査基準に合わせた書き方、賞が取れる書き方を、子どもに指導する教師が現れた。

 一九六〇年代後半になると、課題図書の売上げは年々増加した。そうなると当然だが、児童書の出版社は、感想文を書きやすい作品を出版するようになった。課題図書の選定を狙った作品は、どうしても上から目線の訓育的な話になり、つまらない作品が多くなってきた。私はそんな状況に違和感を覚えた。

 私は子どもにとって読書は、楽しい面白い遊びの一つだと思っているが、学習の一環として読書を位置づけると、面白さよりも作品の意図やテーマが優先される。大人が望む賢いよい子になるための読書、そんなものは、子どもを置き去りにした大人の論理で、私には受け入れがたい。

 しかし、子どもを喜ばせ、面白がらせるために書くという私の創作態度は、「子どもにおもねり、甘やかすことである。究極的には子どもに対して無責任だ。児童文学者ならもっと真面目な作品を書け」と批判された。私はデビュー以来、誠実に子どもと向き合い、子どものために書いてきたと自負していた。私の存在そのものを否定するような批判にきれた私は、児童文学者をやめることにした。

 一九六九年六月、私は日本児童文学者協会を退会した。ところが皮肉なことに、私の『天文子守唄』が日本児童文学者協会賞の受賞作に選ばれた。当然私は受賞を辞退した。

 そんな時、私はフランス文学の翻訳家の小出峻のお見舞いに行った。私が「児童文学者をやめて児童読物作家になりました。これからは児童読物を書きます」と告げると、小出は「僕は君の才能を信じてる。君のやり方で突き進めばいい。僕は応援してるよ」と励ましてくれた。

 開き直って児童読物作家になってみたら、気楽で怖いものなしだった。私は精力的に作品を書きまくった。どうやったら子どもが面白がるか、興奮するだろうかと考えるのが楽しかった。

 一九七八年六月私は第一回巌谷小波文芸賞を受賞した。前年完結した『山中恒児童よみもの選集』全十巻(読売新聞社)が受賞の対象であった。授賞式の時、候補の一人であったが受賞を逃した漫画家の手塚治虫が「相手が山中さんじゃ仕方ないな」と祝ってくれた。嬉しかった。

  


〈機関紙161号 その他の寄稿など〉
【寄稿・「おまけ」と「ふろく」展】
何だってキープオン熱量。―みうらじゅん
【寄稿・吉屋信子没後50年】
少女小説の源泉――吉屋信子から氷室冴子、今野緒雪へ―嶽本野ばら
【展覧会場から・「おまけ」と「ふろく」展】
野球カードとカバヤ文庫
【神奈川とわたし】
横浜、最後の夜―四方田犬彦
【所蔵資料紹介45】
荻原井泉水宛 久米正雄書簡


◆機関紙「神奈川近代文学館」は、当館ミュージアムショップまたは通信販売でご購入いただけます。(1部=100円)

https://www.kanabun.or.jp/webshop/1/


◆連載第一回「63年間を振り返って① 早大童話会も公開中です。


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