火の言葉だけが残った① 芥川龍之介、名作「蜃気楼」/吉増剛造【連載随筆】
※本記事では、機関紙「神奈川近代文学館」164号(2024年4月1日発行)の寄稿を期間限定で公開しています。〈連載終了まで〉
吉増剛造・詩人
ゴッホなら、大きな渦巻だろうが、芥川龍之介の心の芯の糸は、ほとんど見えない、幽かな架空の稲妻だ――。それをたとえばわたくしは龍之介が感嘆する、師夏目漱石のここから学んだ。
「風が高い建物に当つて、思ふ如く真直に抜けられないで、急に稲妻に折れて、……」(夏目漱石「暖かい夢」、芥川龍之介「眼に見るやうな文章」全集第三巻百五十四頁)
〝風が〟〝稲妻に折れて〟である。おそらく漱石も咄嗟に筆を走らせたに違いない。そして漱石の〝稲妻に折れて〟に驚く芥川の眼裏で、架空の稲妻は、吃るように濡れて、こんな赤光あるいは紫色の光に変る。〝吃るように濡れて〟は変だけれども、芥川の傍らの、沼の底からの河童の姿を幻視しての一言であったのだろう。
架空線は不相変鋭い火花を放つてゐた。彼は人生を見渡しても、何も特に欲しいものはなかつた。が、この紫色の火花だけは、――凄まじい空中の火花だけは命と取り換へてもつかまへたかつた。(「或阿呆の一生」全集第十六巻四十三頁)
いま、この芥川龍之介の〝紫色の火花〟が灰色の火花にみえる。おそらく、見知らぬ無言の妖精が一人来て、わたくしの傍らに立ってそう囁いているらしい。〝ぼんやりした緑いろの何か、……〟(「文芸的な、余りに文芸的な」)も襲って、誰かゞパレットを閉じる音がする。
〝火の言葉だけが残った、……〟
幼年の『小学生全集』(全八十八巻、文藝春秋社・興文社刊)に接して、「杜子春」「アグニの神」「蜘蛛の糸」に驚愕をした心の、川底の割れ目のようなところから、湧きだしてきた、水中の水のようなこれは言葉らしい。
今年の元日、能登地震のとき、原稿用紙に$${\textit{ frottage}}$$(摩擦、裏側の世界を擦りだすこと)をして、そのとき不図、クレヨンの灰色を手にした。何故か判らない。昨年十一月十日に、珠洲の正院小学校をお訪ねしていて、〝スヾ〟の響きからだったのか、みたことのない浄土の景色が浮かんで来て、しばらくして、マッチの棒をそこに置いた。災厄の景色を、手が自と倣ったのか。詩原稿も言葉も、吃るように濡れつつ燃えていた、……。
能登、珠洲のときも。おそらく十三年前の東日本大災厄以来、わたくしたちの心中に棲まうことになった、これは無言の妖精の仕草ではなかったのか。わたくしはその妖精にデクノ棒という名前をつけていたのだった。
どうして芥川龍之介は、この名品「蜃気楼」でマッチを摺るという、アイディアを得たのか。浪打ち際でマッチを摺るという驚くべき仕草を。
そのうちにいつかO君は浪打ち際にしやがんだまま、一本のマッチをともしてゐた。
「何をしてゐるの?」
「何つてことはないけれど、………ちよつとかう火をつけただけでも、いろんなものが見えるでせう?」
O君は肩越しに僕等を見上げ、半ばは妻に話しかけたりした。成程一本のマッチの火は海松ふさや心太草の散らかつた中にさまざまの貝殻を照らし出してゐた。O君はその火が消えてしまふと、又新たにマッチを摺り、そろそろ浪打ち際を歩いて行つた。(芥川龍之介「蜃気楼」昭和二年)
引用一行目〝浪打ち際にしやがんだまま〟の〝蹲む〟の下方性、下を向いていることにどうやら秘密がある。読み直してみると、鈴の音がして、それが二、三歩遅れていた妻の〝木履の鈴〟らしいと。ここまで読んで、わたくしにも稲妻が走る。
先生漱石のお墓参りのこと「年末の一日」で、〝東京胞衣会社〟の〝箱車〟〝ぐんぐんその車を押してやつた〟の寸前の作者の姿勢……
〝僕は受け身になりきつたまま、爪先ばかり見るやうに風立つた路を歩いて行つた。〟
この〝爪先ばかり見るやうに〟が芥川龍之介の眼の光だ。
〈機関紙164号 その他の寄稿など〉
【寄稿・橋本治展】
若き日の橋本治―馬渕明子
港の見える丘に立って―千木良悠子
【展覧会場から】
幻の「桃尻娘」応募原稿
【寄稿・庄野潤三展】
おいしい。うれしい。よろこぶ。―中島京子
【所蔵資料紹介48】
尾崎一雄・尾崎士郎交友書簡(3)
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