ベイスターズと出会った駅/吉野万理子
※本記事では、機関紙「神奈川近代文学館」167号(2025年1月15日発行)の寄稿を期間限定で公開しています。〈2025年3月31日まで〉
吉野万理子・作家、脚本家
よしの・まりこ 1970年生まれ、神奈川県出身。2002年「葬式新聞」で「日本テレビシナリオ登竜門2002」優秀賞、2005年『秋の大三角』で第1回新潮エンターテインメント新人賞を受賞。児童読物も精力的に執筆。近著に『ゆうやけトンボジェット』『階段ランナー』など。
みなとみらい線が開通した直後のことを、ほとんど覚えていない。当時、テレビの脚本の仕事で多忙を極めていたからだ。横浜市の北の方に住んでいた私は、仕事が落ち着いてからようやく電車に乗った。
それぞれ異なる建築家が設計している駅は、個性的で歩くのが楽しい。なかでも私が気に入ったのは日本大通り駅だった。みなとみらい駅や馬車道駅に比べてコンパクトなのだが、改札を出て右手に行くと、柳原良平さんの絵をモチーフにした壁画がある。昔の横浜と今の横浜を描いたもので、絵の前に立つだけで、港町の空気が伝わってくるのだ。だから頻繁にこの駅へ降り立つようになった。
ある年、気づいた。駅の様子が変わっている。改札からホームまで、まるごとラッピングされていた。プロ野球選手をモチーフにした、センスのいいデザインで覆われているのだ。駅から徒歩五分の場所に横浜スタジアムがそびえているのだが、ここを本拠地とする横浜DeNAベイスターズが作ったものだった。頑張っているな、と思った。その時はそれだけだった。
翌年、シーズン開幕前にまた駅へ降り立った私は目を見張った。一年だけだと思ったのに、また新たなデザインで、駅がプロ野球一色になっている。
初めて思った。これだけ経営努力をする球団なら応援しがいがあるのではないか、もう一度だけ信じてもいいのではないか、と。
実は幼少の頃から、熱心なプロ野球ファンだった。父の影響を受けて阪急ブレーブスに肩入れしていた。しかし高校生の時、このチームは身売りしてオリックスになった。チーム名も本拠地も変わった。ついていけなくなって、私はファンでい続けることをあきらめた。
そんな私が、少しずつ横浜スタジアムに通うようになった。シーズンシートを譲ってくれる親切な人がいた。中畑監督がハイタッチしてくれた。長年遊んでいた親友が、実はベイスターズファンで「球場へ行こう」と誘ってくれた――。小さな奇跡が重なって、今では年間二十試合ほど、横浜スタジアムで観戦するようになった。
応援団のトランペットの演奏が華やかで、音色を聴くうちに物語が生まれた。できあがった『青空トランペット』は二〇一六年のベイスターズを描いた児童書だ。
実は児童書の編集者にはなぜかベイスターズファンが多い。一緒に観戦しながら、イニング間に打ち合わせをすることもある。二〇二四年は、春の開幕戦から彼らと共に応援し、秋の日本シリーズでは声を枯らした。
今季、ベイスターズはリーグ優勝を目指すと宣言している。私がファンになった頃の阪急は常勝チームで、いつもリーグ一位か二位だった。あの姿に重ねてもいいのだろうか。
初めて見てから、休むことなく続いている日本大通り駅のラッピング。今季はどんなデザインを披露してくれるのだろう。
〈機関紙167号その他の寄稿など〉
【新春随想】
芝浜など-荻野アンナ
【寄稿・中野孝次生誕100年】
中野さんが書きたかったこと-高橋一清
【寄稿・木下利玄没後100年】
木下利玄資料が物語る「白樺」派の青春-服部徹也
【追悼・山田宗睦】
山田宗睦さんの笑顔-蜂飼耳
【連載随筆】
火の言葉だけが残った④ 洗い晒した眼の=小林秀雄-吉増剛造
【所蔵資料紹介51】
種田山頭火 荻原井泉水宛書簡
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