芝浜など/荻野アンナ
※本記事では、機関紙「神奈川近代文学館」167号(2025年1月15日発行)の寄稿を期間限定で公開しています。〈2025年3月31日まで〉
荻野アンナ・作家、理事長
年改まって、思い返すと印象深いのは、十月十九日に開催した「笑門来福落語会」だ。金原亭から馬生師匠、馬治師匠、古今亭から菊春師匠が参加してくれた。
トリの馬生師匠は「芝浜」をじっくりと聴かせた。酒で失敗した魚屋が、早朝の芝の浜で五十両入った財布を拾う。早速飲めや歌えの大宴会で、グーと寝て起きてみると、女房に五十両が夢だったと言い含められる。そこで心機一転、酒を断ち、まじめに商売に励み、三年で立派な店を構えるまでになる。大晦の夜、女房は五十両が夢ではなかったことを告白。彼女の機転で身を立て直すことができた魚屋は、その噓をありがたいものと受け止める。女房はそこで久しぶりの酒を夫に注いでやるのだが、彼はひとこと。
「止そう、また夢になるといけない」
この後彼がどうなるのかは聴く者の想像に任される。おそらく酒を断ったままなのだろうが、もしかすると女房に勧められて一口飲むかもしれない。一口のつもりが大いに酔っ払って、その繰り返しで結局元の酒飲みに戻ってしまう怖さもある。人生のあらゆる可能性を、可能性のまま放り出して終わるのが落語のやり方だ。落語もまた文学だと思う所以である。
落語会の後は中華街で打ち上げをした。丸いテーブルを囲んだところで、馬生師匠が昔を思い出した。中華料理店で余興に落語を演じた時のこと。その店の丸テーブルは回る仕様になっていた。師匠はそのひとつに乗せられて、ぐるぐる回されながら落語をやることになった。師匠の顔が全員に見えるようにとの配慮である。
「あんまり速く回さないでくださいよ、目が回りますからね」
この話に反応した馬治師匠には、牛を前に落語をした思い出があった。落語で乳の出が良くなるか、という実験だった。モーいや、こんな生活、というのがオチである。
〈機関紙167号その他の寄稿など〉
【寄稿・中野孝次生誕100年】
中野さんが書きたかったこと-高橋一清
【寄稿・木下利玄没後100年】
木下利玄資料が物語る「白樺」派の青春-服部徹也
【追悼・山田宗睦】
山田宗睦さんの笑顔-蜂飼耳
【連載随筆】
火の言葉だけが残った④ 洗い晒した眼の=小林秀雄-吉増剛造
【神奈川とわたし】
ベイスターズと出会った駅-吉野万理子
【所蔵資料紹介51】
種田山頭火 荻原井泉水宛書簡
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