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木下利玄資料が物語る「白樺」派の青春/服部徹也

※本記事では、機関紙「神奈川近代文学館」167号(2025年1月15日発行)の寄稿を期間限定で公開しています。〈2025年3月31日まで〉


服部徹也・東洋大学文学部准教授

 明治三十八年〔一九〇五年〕九月五日。日露戦争勝利の喜びは、講和条約への怒りとなって帝都を覆っていた。人々は軍人を英雄に祭り上げたが、その振り上げた拳の行き場を探した。当局はこの日計画されていた日比谷公園における政治集会を阻止すべく封鎖を行なったが、正午には数万人の群衆が公園になだれ込んだ。

 同じ日の昼下がり、神田神保町の邸宅で、木下利玄り げんは泉鏡花の「銀短冊」(「文芸倶楽部」一九〇五・四)を読んでいた。本家を継ぐために幼少期から親元を離れた旧藩主一族の跡取りは、このとき数えで二十歳。学習院に学び、佐佐木信綱門下で和歌と文章の修行に励むこの青年は、文学書と歌舞伎を目当てに神田を歩くことを日課としていた。昨日も同じく鏡花の「夜行巡査」(「文芸倶楽部」一八九五・四)を読んだばかりであった。

 神奈川近代文学館には、利玄の自筆原稿や書簡、日記など多くの遺品が収蔵されている(紅野敏郎による資料紹介が先鞭をつけ、近年生井知子、服部徹也がそれぞれ資料の詳細な紹介を行なっている)。多くの青年達に愛用された当用日記(博文館刊)に、丹念な字でこの日のことが記されている。

 昼さがりには九十八度〔約三六・六℃〕と云ふ暑さ、この処夏ひきかへしの気味、(略)鏡花の銀短冊よむ。償金なし、樺太半分と云ふ講和条件を憤慨する人々今日日比谷に会するを警察でとめたと云つて暴動をしたとの事、当局者愚にあらざればかゝる条件も何か事情ありての事だらうに暴動とは言語ママ断なるかな。夜神田を散歩し鏡花の小説ある雑誌二冊求む

「日比谷焼き討ち事件」の名で知られる歴史の一局面が、この文学青年の日記においては読書記録と無造作に同居する。泉鏡花を愛読する青年には、この頃もう一人敬愛する作家がいた。

 明治三十八年一月、俳句雑誌「ホトトギス」に掲載された「吾輩は猫である」―猫の眼を通してみれば、日露戦争に沸く俗世間と、学問や芸術の世界に生きる「太平の逸民いつみん」とに大差はない―ユーモアを漂わせながら鋭利な風刺を含むこの作品は、東京帝国大学英文学科講師夏目金之助をやがて辞職へ駆り立てるほどの創作熱のきざしであった。
 
 翌明治三十九年、学習院高等科卒業を前に「英文科とほぼ定めた」(一月十二日)と記す利玄の念頭には、漱石の姿が思い描かれていたことだろう。一方、同月十日には第二次「早稲田文学」創刊号の島村抱月「囚はれたる文芸」を読んでいる。また四月十六日に正親おおぎまち公和きんかずの見舞いに志賀直哉と訪れた際、二人が島崎藤村『破戒』評を交わすのを黙ってやり過ごした利玄は、彼等に追いつこうと同作を読み進めるが、いずれも感想を記していない。『坊っちやん』について「ただユーモアに富めるのみならず、当世をふうせる作である。(略)読みおわると何だが坊ちやん山嵐など云ふ友に別れたやうな心地がして寂しい感がした。自分も坊ちやんのやうな人でありたい」(四月十八日)と熱を込めて記したのとは好対照といえる。

 同年九月、利玄や志賀らは東京帝国大学に入学、同二十五日の日記には「今朝夏目漱石オセルの講義あり、声小さく冷淡な講義なれど時々奇抜な事を云ふ、しかしあれが漱石とは思へない様なり」とややがっかりした第一印象を記すものの、以後日記には漱石の講義や余談への尊敬に満ちた記録がその早すぎる退職(明治四十年四月)を惜しむ記述にいたるまで続いていく。


木下利玄(1886~1925) 1907年秋
利玄は1910年、志賀直哉、武者小路実篤らと共に
文芸・美術雑誌「白樺」を創刊する。当館寄託

 最後に、読者の方にも是非一緒に考察していただきたい一節を紹介する。明治三十九年十一月二十六日の日記には、次のようにある。

夏目さんのポープのレクチユアは今日にて終りしものゝ如し、すんで銀杏のママの下にひざまづき半月沙鷗の間にて包ひらき言語学の「ノート」半月にかす。「お重でもひらくやうだね紅葉狩か何かにつて」と云ふ時半月沙鷗一時にお辞儀する見上げるとわが夏目さんはさつさとそばをすぎてゆく。

 「半月」は志賀直哉、「沙鷗」は正親町公和の雅号である。大学はくだらない、夏目さんの講義が最も面白いと考えていた志賀が、優等生の利玄にノートを借りる風景は度々日記にあらわれる。それを紅葉狩りになぞらえた台詞は、果たして誰のものか。利玄が手元に眼を落として発言していたという解釈が一番自然ではある。利玄が受講ノートを高級な包みから取り出したところを、志賀が茶化したという可能性もある。文脈上少し成り立ちにくそうだが、通りすがりに漱石がユーモアをきかせて咎めたという可能性はないのだろうか。はっきりと発言者が記されていない以上断定はできないが、資料に興味を持ち、想像をめぐらせることが、文学館の楽しみ方の一つだ。



〈機関紙167号その他の寄稿など〉

【新春随想】
芝浜など-荻野アンナ
【寄稿・中野孝次生誕100年】
中野さんが書きたかったこと-高橋一清
【追悼・山田宗睦】
山田宗睦さんの笑顔-蜂飼耳
【連載随筆】
火の言葉だけが残った④ 洗い晒した眼の=小林秀雄-吉増剛造

【神奈川とわたし】
ベイスターズと出会った駅-吉野万理子
【所蔵資料紹介51】
種田山頭火 荻原井泉水宛書簡

◆機関紙「神奈川近代文学館」は、当館ミュージアムショップまたは通信販売でご購入いただけます。(1部=100円)

https://www.kanabun.or.jp/webshop/1/

◆神奈川近代文学館公式noteでは、機関紙掲載記事の期間限定公開や講演会・イベントの配信をしています。

https://kanabun-museum.note.jp/

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