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館長就任メッセージ/荻野アンナ 

荻野アンナ・作家、新館長

 神奈川は近代日本文学の文豪のゆかりの地であることは皆様もご存知です。川端康成や小林秀雄が住んでいた鎌倉は、太宰治が心中未遂を起こした土地でもあります。同じ太宰の『斜陽』の舞台は小田原郊外の下曽我でした。坂口安吾も、小田原をうろうろしていた時期がありました。本牧から山手を歩いていると、谷崎潤一郎や中島敦や山本周五郎の足跡を追っていることになります。神奈川という磁場に、夏目漱石から柳美里まで、淡谷のり子からサザンオールスターズまで、というのはちょっと違いますが、惹きつけられて作品を残しています。

 神奈川ゆかりだけで架空の図書館がひとつ出来る、と考えた私はすぐにそれが実現していることに気が付きます。今私たちの立っているここ、130万点を超える収蔵品を誇る夢の図書館、そして博物館がまさにそれです。文学という大木が健全であるためには、根っこに栄養が送られなければいけません。その栄養を分泌しているのが、この神奈川近代文学館だと思います。資料を渉猟に来る研究者はもちろんのこと、展覧会や講演会で潜在的な文学ファンを惹きつける地道な作業が日々行われています。

 博物館とは何か。20世紀のフランス詩人ポール・ヴァレリーはパリのシャイヨー宮の入口にこう刻みました。

 通りがかる人にかかっている    Il dépend de celui qui passe
 私が墓になるか宝になるかは    Que je sois tombeau ou trésor
 私が喋るか黙るかは        Que je parle ou me taise
 これは君次第なのだ        Ceci ne tient qu’à toi
 友よ 欲望なしに入る事なかれ   Ami n’entre pas sans désir

 通りがかる人の健全な欲望を掻き立てるのが当館のつとめ。辻原登館長は長年にわたり健全な欲望の育成に尽力されてきました。その言葉には理があり、その眼差しには情があります。文学の王道を歩く人の確かな足取りが当館を然るべき方向に導いてきたのは、皆様もご存知のとおりです。この4月からは、頼りないですが、私がその道を歩かせていただくことになりました。その言葉には無理があり、その眼差しはボケているかもしれません。皆様のお助けがなければ文学への水やりも心許ないばかりです。何卒ご支援、ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。



荻野アンナ(おぎの・あんな)

1956年、横浜市生まれ。
慶応義塾大学文学部卒。1983年より3年間、ソルボンヌ大学に留学、ラブレー研究で博士号取得。1989年慶應義塾大学大学院博士課程修了。以後2022年まで同大で教鞭をとり、現在名誉教授。
1991年「背負い水」で第105回芥川賞、2002年『ホラ吹きアンリの冒険』で第53回読売文学賞、2008年『蟹と彼と私』で第19回伊藤整文学賞を受賞。そのほかの著書に『カシス川』『老婦人マリアンヌ鈴木の部屋』など。2009年より読売文学賞選考委員。
母・江見絹子(えみ・きぬこ1923~2015)は日本絵画史上、先駆的な抽象表現を試みた女性画家。神奈川県女流美術家協会の設立の発起人となり、長年にわたり代表をつとめた。


 2024年3月31日をもって辻原登館長が退任し、2024年4月1日付けで、新たに荻野アンナが館長に就任しました。荻野アンナは、文学館と同じ丘に生まれ育った生粋の「ハマっこ」です。2001年より、文学館を運営する公益財団法人神奈川文学振興会の評議員及び理事をつとめてきました。
 県立神奈川近代文学館は2024年に開館40周年を迎えます。今後とも文学の振興・普及の促進につとめてまいりますので、引き続き、よろしくお願い申し上げます。

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