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「手をつなごう」からの出発【展覧会場から・古田足日展】

※本記事では、機関紙「神奈川近代文学館」165号(2024年7月15日発行)の寄稿を期間限定で公開しています。〈2024年9月29日まで〉



 今年刊行から五十年を迎え、今なお子どもたちを夢中にさせるロングセラー絵本『おしいれのぼうけん』(童心社)は、作品の構想から完成までに約三年という長い時間をかけている。古田の発案で、絵と文が緊密に関係し合う「絵本」ならではの表現を試みるため、当初から画家の田畑精一、編集者の酒井京子と三位一体で取材と話し合いに取り組んだ。

 本作は、一九七二年に古田たちが取材に行った保谷市のそよかぜ保育園で聞いた、実際の出来事から着想されている。ある時、二人の園児が先生に叱られて押し入れの上下の段に入れられた。二人は、作中で「あきら」と「さとし」の行動として描かれている通り、押し入れの穴から外を覗いたり、戸を蹴飛ばしたり、ミニカーで遊んだりして抵抗する。最後には泣いて押し入れから出てきてしまうのだが、二人は暗闇のなかで「がんばれ、手をつなごう」と励まし合っていたという。

 物語づくりは、古田がテキストを執筆することからはじまった。初期の草稿と思われる断片には、そよかぜ保育園の子どもが発した「がんばれ、手をつなごう」の言葉が残されている。古田はこの言葉が呼び起こすイメージに惹きつけられ、どうすれば子どもたちは押し入れから出てくることなく、「がんばり通す」ことができたのだろうかと考えた。草稿には、「子どもが先生をどう思うか」「おしいれにいれることはおかしい、という子どもたちの自覚」など、子どもの視点や、その内面をつかみとろうとするメモが書きつけられている。暗闇の恐怖に立ち向かう子どもたちの冒険物語の構想は、この言葉から出発したのである。


「おしいれのぼうけん」第1稿の草稿から 「がんばれ、手をつなごう」の場面 
当館蔵・古田文恵氏寄贈

 書き上がったテキストは、原稿用紙八十枚もの分量に及んだという。古田は第一稿を「おしいれのなかのふたり」の題で一九七三年に「新婦人しんぶん」に連載発表した後、絵本化に向けて田畑、酒井と共同で推敲を重ねた。

 児童文学評論家としても活躍していた古田は、そよかぜ保育園を訪れる前の一九七二年六月、初めての絵本論「絵本の構造を考えたい」で「絵本とはどういうものか」を分析し、絵に対する「ことばの衰弱」を危惧していた。本作の完成を経て、古田は絵本の創作過程に働く言葉の力を実感し、一九七五年三月に発表した「絵本のなかの文章」では「ことばは一編の絵本の構想にかかわりあっている」と確信を持って述べている。

(展示課・大槻陽香)



〈機関紙165号 その他の寄稿など〉
【理事長就任にあたって】
情熱と審美眼―荻野アンナ
【寄稿・古田足日展】
ホタルブクロの咲く野へ―橋本麻里
【追悼・三木卓】
「ミッドワイフの家」とお相撲―辻原登
【連載随筆】
火の言葉だけが残った② 漱石、一本の光―吉増剛造
【所蔵資料紹介49】
須賀敦子 父母宛書簡(1)

◆機関紙「神奈川近代文学館」は、当館ミュージアムショップまたは通信販売でご購入いただけます。(1部=100円)

https://www.kanabun.or.jp/webshop/1/

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