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63年間を振り返って③ ボクラ少国民/山中恒【連載随筆】

※本記事では、機関紙「神奈川近代文学館」162号(2023年10月1日発行)の寄稿を期間限定で公開しています。〈2024年3月31日まで〉


戦時資料を収蔵している自宅書庫で

山中恒・児童読物作家


 私は児童文学者協会を退会すると新日本文学会(以下新日文)に入会した。新日文は、戦前戦中に弾圧されていたプロレタリア文学の復興と広範な民主主義文学者の結集を目指し、蔵原惟人これひと、壺井繁治、中野重治、秋田雨雀、江口かん、窪川鶴次郎、徳永すなお、藤森成吉、宮本百合子が発起人となり一九四五年十二月三十日に発足した。作家の長谷川四郎も新日文の会員で私の作品を読むと「君は大人の小説を書いた方がいいよ」と言った。

 井上光晴も新日文で知り合った。たまたま私は井上に電話した。話が終わって電話を切ろうとしたら、「辺境」に何か書いてくれと頼まれた。

 季刊「辺境」は井上の個人編集誌である。創刊号(一九七〇年六月)の表紙には、爆弾三勇士序説1―上野英信。昭和維新試論1―橋川文三。辺境―井上光晴。特集ソルジェニーツィン問題―とある。私は爆弾三勇士に興味があったので、創刊号を買っていた。「爆弾三勇士序説」に私は強い衝撃を受け、自分が少国民だった頃に受けた理不尽な錬成教育を思い出し、あれは一体何だったのかと考えていた。

 そんな時に井上は「『辺境』に枚数は制限しない。好きなことを好きなように書いていい」と私に言ってくれたのだ。私は「よし、それならあの錬成教育の正体を暴いてやろう」と決意した。これが「ボクラ少国民」を書くきっかけである。しかし、実際に書き始めたら、役に立ちそうな資料はほとんどなかった。既刊のめぼしい教育史や教育思想史の中には、私が知りたいと思うことは、ごくわずかしか書かれていないのだ。私は不安になったが、自分の体験を乏しい資料で裏付けてなんとかまとめて書き上げた。それを「辺境」(一九七二年六月・第一次八号)に「ボクラ少国民」として発表した。

 実は、私はこの一回きりで終わりだと思っていたのに「ボクラ少国民」は連載することになった。私は連載第二回目のテーマを紀元二千六百年に決めた。紀元二千六百年の資料が無くては絶対に書けないが、どうしても探せない。そんな困り果てた私を助けてくれたのは、児童図書の担当編集者だった。彼は紀元二千六百年関連の新聞記事や児童図書のコピーや研究資料を入手してくれたのだ。

 「あなたのおかげで、無事に『辺境』(一九七三年三月・第一次十号)に『紀元ハ二千六百年』を掲載できた」と礼を述べると、彼は「山中先生が『辺境』の原稿に足をとられて、注文原稿が遅れると困りますから」と笑った。

 「辺境」の連載をまとめて『ボクラ少国民』(一九七四年十一月・辺境社)を刊行した。その後『御民ワレ』、『撃チテシ止マム』、『欲シガリマセン勝ツマデハ』、『勝利ノ日マデ』を書くうちに、神田の古書店と馴染みになり、貴重な資料も買えるようになった。私は児童読物を書いて得た印税で、戦時中の出版物を買い漁り、それをもとに一般向けの戦争関連図書を刊行した。蒐集した戦時資料は二万点を超えた。

 ベストセラー『少年H』(妹尾河童・一九九七年・講談社)に多数の事実誤認があると指摘し、『間違いだらけの少年H』(一九九九年・辺境社)を刊行できたのも、戦時教育史から枠を広げ、『新聞は戦争を美化せよ!』(二〇〇一年・小学館)、『すっきりわかる「靖国神社」問題』(二〇〇三年・小学館)、『アジア・太平洋戦争史』(二〇一五年・岩波書店)他、多数を世に出せたのも、集めた戦時資料のおかげである。

  


〈機関紙162号 その他の寄稿など〉
【寄稿・井伏鱒二展】
創作と翻訳と骨董蒐集と―青柳いづみこ
【寄稿・井伏鱒二展】
井伏鱒二の「ドリトル先生」―南條竹則
【展覧会場から・井伏鱒二展】
親友の形見
【神奈川とわたし】
港はありません―大崎清夏
【所蔵資料紹介46】
尾崎一雄・尾崎士郎交友書簡(1)


◆機関紙「神奈川近代文学館」は、当館ミュージアムショップまたは通信販売でご購入いただけます。(1部=100円)

https://www.kanabun.or.jp/webshop/1/


◆連載第一回「63年間を振り返って① 早大童話会第二回「63年間を振り返って② 児童読物作家としても公開中です。


◆神奈川近代文学館公式note
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