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仮説の文学【展覧会場から・安部公房展】

※本記事では、機関紙「神奈川近代文学館」166号(2024年10月1日発行)の寄稿を期間限定で公開しています。〈2024年12月8日まで〉



 日本初のSF専門商業誌「S-Fマガジン」は一九六〇年(昭和三十五)に創刊した。しかし、当時の文壇ではSF(空想科学小説)に対して否定的な見方が強かったという。同誌の初代編集長・福島正実の回想記『未踏の時代』には、創刊準備中に相談した作家のなかで、安部公房だけがSFの可能性を語って励ましてくれたと書かれている。公房は「S-Fマガジン」創刊より早く、一九五八年から雑誌「世界」に「第四間氷期」を連載。同作が日本における本格長編SFの嚆矢とされる。

 一九五六年に富士写真フイルム(現・富士フイルム)が初の国産電子計算機(コンピュータ)を完成させて注目された。「第四間氷期」には電子計算機から発想したであろう「予言機械」が登場する。

 予言機械の研究者・勝見博士の周囲で、次々と不穏な事件が起きる。事件の背後を探ろうとする勝見だったが、のちに明かされた真相は、予言機械の予言に基づき秘密裡に進んでいた国家規模の計画という、想像をはるかに超える事態だった。

 夜の会などの前衛芸術運動を通じ親交のあった花田清輝もSFを評価した文学者で、本作を取り上げた「S・Fと思想」(「宝石」一九五九年九月)という評論がある。花田は「第四間氷期」の「すべての登場人物たちが、かれらの行動に、それぞれ、思想的な動機をもつている」点に注目し、科学小説のような知的なジャンルではこの点が重要ではないかと指摘する。また、未来を担う存在が「日常的なものから飛躍したところで、はじめて成立する」ため、本作の「水棲人間」もまた了解しがたい「怪物」に見えて当然だと述べつつ、「怪物」の内面を描いてほしかったと書いた。

 これを読んだ公房が花田にあてた礼状(当館蔵)は、作家仲間らにも作品を理解されない辛さや、花田の言葉を受けての反省などを綴ったうえで、「ぼくの一番のねらいを読みとって下さったのが、花田さんだけだったというのは、むしろ誇るべきことだとさえ考えています」と喜びを伝えている。

花田清輝あて書簡(部分) 1959年8月18日 当館蔵・花田黎門氏寄贈


 公房はエッセイ「仮説の文学」(「朝日新聞」一九六一年六月三日)で、「日常のもつ安定の仮面をはぎとり、現実をあたらしい照明でてらし出す反逆と挑戦の文学伝統の、今日的表現」がSFだとして、こうした「仮説の文学」は「自然主義文学などよりは、はるかに大きな文学の本流であり、根元的なもの」と述べた。『壁』や『砂の女』など、公房の作品はいまも世界中で読み継がれ、「仮説の文学」をめぐる自身の考えの正しさを裏づけている。

(展示課・秋元薫)



〈機関紙166号 その他の寄稿など〉
【寄稿・安部公房展】
見知らぬ地図、あるいは燃えつきぬ地図―恩田陸
辺境とクレオール―沼野充義
【寄稿・開館40周年】
来訪のすすめ―宇佐見りん
漱石遺品寄贈の経緯―夏目房之介
畏れの場―藤沢周
【連載随筆】
火の言葉だけが残った③ 赤い火=志賀直哉―吉増剛造
【所蔵資料紹介50】
須賀敦子 父母宛書簡(2)

◆機関紙「神奈川近代文学館」は、当館ミュージアムショップまたは通信販売でご購入いただけます。(1部=100円)

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