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来訪のすすめ/宇佐見りん【寄稿・開館40周年に寄せて】

※本記事では、機関紙「神奈川近代文学館」166号(2024年10月1日発行)の寄稿を期間限定で公開しています。〈2025年1月14日まで〉


宇佐見りん・作家


 かつて私にはいくつもの秘密の場所があった。取材で紹介したり、そもそも日々多くの人がそこへ訪れているわけで厳密に言えば全く秘密ではない。ないのだが、誰かを連れて訪れるときと、単身で訪れるときでは、少し違った魅力があると思う。ひとりのときにだけ対話するためにそっと開いてくれるような、そういう意味での秘密の場所に何度も支えられてきた。

バラの季節のアメリカ山公園 
写真提供・アメリカ山公園パートナーズ

 いくつかある秘密の場所のうちのひとつが、神奈川近代文学館やその周辺地域であった。元町・中華街駅のホームにつき、昼間も薄暗くひと気のない構内を歩き、エスカレーターで上っていく(兔角これが長い。途中、立派なウエディングドレスが飾られたブライダルショップがあったりする)と、急に視界が開けて洋風の家の庭のような広場に出る。花に囲まれたそこはアメリカ山公園というらしく、高い位置にあるためよく風が通り日が当たる。芝の上にレジャーシートを広げた家族連れがサンドイッチを食べたりボール遊びをしていたり、遊歩道を日傘を差した女性がベビーカーを押していたりする。私はよくベンチに腰掛けて、小説の風景描写の練習のため日が落ちるまで何時間でもメモをとった。近くの外国人墓地にも行った。横浜外国人墓地は開国以来日本を訪れた多くの外国人が眠る地であり、縁故者以外は公開日に訪れる必要があるのだが、ここは日本の一般的な墓地や霊園とはかなり様子が違っていて、火葬でなく埋葬の形をとるためひとつの墓に割り当てられた区画が広い。墓地特有の薄暗さは殆どなく、草木が茂り木漏れ日の流れ落ちる閑静な場所といった印象がある。この一帯はどの季節に行っても素敵だが、私が来訪をお勧めしたい季節は薔薇の咲き誇る五月である。記憶が正しければ、私が最初にここを訪れたのも五月、夏目漱石没後百年に合わせて開催された「一〇〇年目に出会う 夏目漱石」展が目的だった。

特別展「100年目に出会う 夏目漱石」ポスター 2016年

 「百年、私の墓のそばすわつて待つてゐて下さい。屹度きっとひに来ますから」。そのちらしをいつどこで目にしたか記憶していないのだが、物憂げな表情をうかべている漱石のセピア色の写真と、傍らに添えられた「夢十夜」から引用された文言をみたとき、ふだんは死後の世界も幽霊も信じてはいないのにどうしてか漱石自身が言葉を発しているように感じられて、行こうと決めたのだった。漱石のお墓は実際には、豊島区の雑司ケ谷霊園にあるが、そこにも外国の方々も多く埋葬されているためところどころ十字の形の墓石があり、横浜外国人墓地と似ていると私は思う。小日向の養源寺にしろ、彼の作品を思い返すときにはいつも静かな墓のイメージがつきまとう。展示室に入ると、ご年配の方を中心に沢山の人が直筆の原稿や手紙の入ったショーケースを覗き込んでいた。文机の置かれた、漱石の仕事場を再現した部屋もあった気がする。静かで熱い感動があった。会期中にもう一度か二度足を運び、漱石展が終わってからも常設展や特別展を折に触れ見てきた。今考えれば少し恥ずかしいが、ここで購入した漱石用の原稿用紙を復刻した用紙に自分の小説を書いてみたりして、一人きりの豊かな時間を過ごしてきたように思う。ぜひ、五月、単身での来訪をおすすめしたい。



〈機関紙166号 その他の寄稿など〉
【寄稿・安部公房展】
見知らぬ地図、あるいは燃えつきぬ地図―恩田陸
辺境とクレオール―沼野充義
【展覧会場から】
仮説の文学
【寄稿・開館40周年】
漱石遺品寄贈の経緯―夏目房之介
畏れの場―藤沢周
【連載随筆】
火の言葉だけが残った③ 赤い火=志賀直哉―吉増剛造
【所蔵資料紹介50】
須賀敦子 父母宛書簡(2)

◆機関紙「神奈川近代文学館」は、当館ミュージアムショップまたは通信販売でご購入いただけます。(1部=100円)

https://www.kanabun.or.jp/webshop/1/

◆神奈川近代文学館公式noteでは、機関紙掲載記事の期間限定公開や講演会・イベントの配信をしています。

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